競技時間がなぜ30分なのかについて。

 久しぶりにこの質問を頂いたのでお応えいたします。

 耳にタコの皆様は読み飛ばしてください。

 競技時間が30分区切りなのは魚体の保護を目的としているからです。

 魚は釣られればやはり死ぬのは避けられません。そして魚は殺せば二度と釣れません。その場では生きていても弱らせればその後に死ぬ確率が上がります。現在では特に食べる事を目的としていない彼らを出来るだけ生かしてあげたい思いもありこの時間を考えました。

 多分この小物釣りは身近で手軽なレジャーとして定着する事でしょう。然しながらフィールドの減少が進む現在の釣り場のキャパシティーでは増加していく小物釣り人口を受け止める事は不可能に近いです。ならばと思いこの30分に凝縮した釣りを提案してみました。一部の方々がこの方法を試みられている事を知ると非常に嬉しく思います。

 他の釣りを見ても短時間でこれだけの数が釣れる遊びも中々ありません然しながら沢山釣れる=一匹の価値が下がると言うことにつながります。中には一束釣れて当たり前と吹聴する方もおられます。それはあくまで現在通われているフィールドが良好な環境なだけの事。魚が居なければ釣れません。そして現在の道具立ては非常に優秀なので魚がいる所に行けば誰しも束釣りは十分に可能性があります。また新仔釣りも昔は市販の鈎をどう研ぐか腕の見せ所がありましたが今では自作針という文化が出てきてそれを使用すれば誰しも容易に釣れるようになりました。

この流れを特に否定することは致しません。これも一つの文化の表現のひとつですから。但し江戸時代からのゲームフィッシングを標榜するなら闇雲に釣る事ばかりに専念するばかりだけではいけません。どこかで基準を創らないとそれは漁と変わらなくなります。私はこの釣りの本質は数寄もの文化であるべきだと考えています。斜に構えていくことも必要だと思います。これだけ数が誰でも釣れる様になったんですからこの釣りをもっと面白がることが必要だと考えています。こんなでかい釣り針でも釣れるんだよとか、こんな変な仕掛けでも釣れちゃうんだよとか、こんな変な竿でも十分なんだよとかそんな流れがもっとあっても良いと考えています。その中で更なる発見があるかも知れません。簡単に言うと色んな切り口を考えて遊んで欲しいのです。折角短時間で有意義に遊べる対象魚がいるのに数釣り一辺倒では実に勿体ない。是非色々とアプローチしてください。気の良いたなご達は必ず答えてくれる筈です。

 話が少々脱線いたしました。

 要は沢山釣る事だけがたなご釣りではないんです。とお伝えしたかっただけなのですが少し個人の考えが先行致しました。話をもとに戻しましょう。

 最近魚がいるのにスレてしまったという話をよく聞きます。これは魚が通常通りの捕食しなくなってしまったという事です。魚も何度も釣られれば捕食という行為に恐怖を抱きますし口唇も傷みます。このストレスや病気により捕食行為をせずやがては痩せ細って死んできます。これはそのフィールドの魚の小型化等で顕著に表れます。魚が小型中心になったら要注意です小型中心では魚の卵を産む数が圧倒的に違います。やはり二年魚~が多い場所の方が安定しています。そのフィールドを守りたければやはりやせ我慢も必要かと。我慢は男の器が計られるバロメーターです。武士は食わねど高楊枝。押して忍んで押忍です。色々な考え方もありますが残念ながらたなご達は他の一部の魚の様に供給が経済活動の一環としてのシステムが構築出来ていない魚です。ましてや在来種は絶滅危惧種です。そんな彼らに我々釣り人が出来る事は程々に釣ること位しかありませんお釈迦様が言う通り何事も程々が一番かと…。

ではまた。押忍!

※大会の募集要項は本当に近日中に発表いたします。(こればっかり…😢)



日本たなご釣り倶楽部

釣りは伝承の遊びです。 現在、様々な釣りが消えています。 このたなご釣りも消えないように後世に伝えられたらと思います。